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屋台裏ノート

OZMAFIA!! 感想・考察なぐり書き

「Words are Worth」キリエ内省録【前編】歌詞考察

京都にてOZCAFFE!!開催中ですね。パンケーキ!!!

Character Song Vol.4 KYRIE キリソン


いつ見てもため息が出るジャケットだ……。
2014年7月9日発売、キリエさんのキャラソンを聞き返してぐだぐだ考えます。シリーズVol.1から3をすっ飛ばして4番目のキリエさん。ツイッターでフォロワーさんとお話して以来忘れないうちに書きたくて仕方がなかった(お話して下さった方どうもありがとうございます)。今回は曲単体に注目したいのでドラマパートには触れていません。

言いたいことざっくりと
  • 「Words are Worth」はキリエの内省。現在とフーカ、輝かしい思い出とあの子を振り返る。詩人の言葉を噛み締めつつ時の流れと向き合い、区切りを付けようとする歌。
  • 単純な希望のみを答えとせず、静かに折り合いをつけるように結論へと落ち着くところがキリエらしい。
  • スウェーデン語部分を訳すと現れるふたりのワーズワースの詩。タイトルに込められたのはその名前と、隠されている(かもしれない)言葉。
  • 【言葉】によって語られるキリエの転換、【鏡】を挟んだ対照から見えるキリエの世界。

長くなったので記事を前・中・後編に分けています。前編は簡単な感想と歌詞をなぞった読み、中編はスウェーデン語からの翻訳の詳細、後編はちょっとした深読み。

 

>> 以下、OZMAFIA!! PC版、vita版とキャラソンのネタバレを含みます
なお歌詞カードからの引用は『』内にて、考察感想を目的とした記事です。

 

キャラソン感想

キャラソンシリーズはカラミア、アクセル、スカーレットに続いて満を持してのキリエ。
雨音から始まり、軽快でジャジーな中にピアノが響くどこか切なげな曲。

発売前のチラ見せでスウェーデン語が出てきた時点で一筋縄ではいかないことはわかっていましたが、一曲通して聞くとまさにその通り。実にキリエさんらしく、9分で本当にお腹いっぱいになります。なんでそんなに長いの……と思いながら最後まで聞いてこそのキリエさんらしさには参ってしまいます。

キリエに限らず、オズマフィアのキャラソンは作詞が本編シナリオのゆーますさん。その信頼のおかげで、歌詞からいくらでも想像を広げることができて幸せです。曲も本編で音楽を担当されているProject lightsさん、こちらも作品の雰囲気そのまま。vita版ではそれぞれのキャラソンのアレンジBGMが良いシーンで使われていて、より強く引き込まれます。オルゴール調なのがまた泣ける。

キャラソンシリーズ、このまま他のキャラクターも続いてくれないかなーウォールフガングの静かな湖畔とかないかなー。

 

歌詞を読む

まずは歌詞を素直に読んでみる。スウェーデン語部分は英文にして、もとになっている詩を探しました。原文から該当部分を引用しています。翻訳の詳細は次の記事で。

序盤

現在とフーカを見ているパート。

旅で得た脳のおかげで記憶が消えることのないキリエは、その記憶が自分だけのものであることを常に意識させられている。自分以外の人間は簡単に思い出を忘れていくし、果てには人間関係まで消えていく様子を見てしまっている。

その経験から人と距離を取るような言動をするし、フーカには自分を「信じるな」と言ってしまう。それでも完全に突き放しきることはできず何かと彼女に構うのは、フーカにドロシーの面影を見ているだけではなく、キリエ自身が孤独にこもっていながら、心のどこかで信じていた「何か」にいよいよ手を伸ばしたいと動かされたからではないか。

あれこれ言葉を並べて牽制しつつも、フーカが寄ってくるのを待っているように聞こえます。

中盤

回想、ドロシーの思い出パート。

エフェクトで抑えられたところから広がる金色の風景は曲全体で一番キラキラしているように聞こえます。つくづく、キリエさんの中で旅の思い出は輝いているんだな。

しかしその宝物も、旅のあとには別の意味を持つことに。望んで手に入れたはずのものは彼を縛る『枷』*1となってしまう。その不自由さと、忘れることのないきらめきという差があたたかくて悲しい。

 

『Bakom molen skiner solen ännu.

   Vissa dagar måste vara mörka och dystra.』

   ”Behind the clouds is the sun still shining;

   Some days must be dark and dreary.”

   The Rainy Day - Henry Wordsworth Longfellow (1842)

 

雨は降る、だが雲の向こうには太陽がある(意訳)

もとは「人生つらい、過去って重い、でもネガティブになり過ぎんなよ!」(超意訳)という詩。そのうち最後のポジティブな部分をわざわざ引用しているのがキリエの絶望しきることができない性を表しているように思えます。

キリエにとって日常は雨の中なのでしょうか。それでもいつだって雲の向こうには太陽があるし、止まない雨はない。そうキリエに呼びかける存在があるのか、この言葉の希望をキリエは誰に求めているのか。

雨が上がれば虹が、虹といえばその向こうにドロシーの夢見たオズの国が、と連想してしまいます。

そして3, 2, 1...0 のカウントダウンで回想から目覚める。(ここ好き)

終盤

曲が大きく盛り上がる展開が熱い。

『褪せない記憶』、鮮やかなまま思い出が残る喜びの裏で、「褪せない」こと自体に苦しめられるのがキリエ。脳を持つ今だからこそ、振り返る度に(もはや振り返るまでもなく)それがわかってしまう。

『届かない言葉』、その思い出はドロシーとさえ分かち合うことはできず、一緒に旅したはずのカラミアやアクセルとも共有はかなわない。

誰にもわかってもらえることなくひとり甘受するのはまさに『甘やかで酷な鎖』。そこに手向けられる『花束』は自らへの皮肉なのか弔いなのか。

苦しみや悲しみとして抱えているはずの「枷」を、こんなにも飾った言葉で表現するキリエの感覚。その中心にあるきらめきはやはり大切なもので、いまキリエさんを苛む感情と表裏一体になっているからこその言葉なのかもしれません。キリエさんお花好きですね。

 

『Spegel, spegel på väggen där.

 Säg vem som dåraktigaste i landet är?』

 ”Mirror, mirror on the wall. (Say)

  Who’s the most foolish of them all?”

 

鏡よ鏡、世界で一番愚かなのは誰?

フーカのことを愚かだと言っておきながら、過去や脳そのものに縛られた自らの愚かさも自覚している、賢者ならではの自嘲。その空で嘲笑う月は三日月でしょうか。

『月は嘲笑うだけ』、ここの投げ捨てるような、どこか必死に聞こえる歌声は、この瞬間に極まったキリエのむき出しの感情を覗いてしまったようで息が詰まる。

太陽と歯車はカラミアとアクセルの象徴だとしたら、希望はドロシーあるいはドロシーとの思い出かもしれない。『希望は虚空の中』、自分の頭の中にだけ残る思い出、もしもう一度会えるならという願いは叶わずその気持だけが空に溶ける。

夜の闇の中、誰にも明かされることのないキリエの心を抱えたまま時は進む。願いを託した星も消えて、朝が近づく。

『紅い蝋』は封蝋*2、何度星に託しても裏切られ続ける願いに封をする。蝋の赤はオズファミリーの色でありフーカの色。そこにあるのは、叶わないからと願いや現実を切り捨てるのではなく、胸のうちにそっとしまっておくような静かさやあたたかさ。悲しみや絶望に振り切れた様子はないことに聴き手としてはほっとします。

ただ仕舞うのではなくわざわざ蝋で閉じたのなら、もしかしたら、夜が来る度に思い出をなぞり返していたことまで終わりにしようとしたのかもしれない。その、踏み切るような言葉が最後の引用。

 

『Fast ingenting kan återge oss

   timmen av storslangenhet i gräset,

   av blommans salighet, sörjer vi inte.

 Vi finner styrka i det som finns kvar.』

 

   ”Though nothing can bring back the hour

    Of splendour in the grass, of glory in the flower;

    We will grieve not, rather find

    Strength in what remains behind;”

    Ode: Intimations of Immortality - William Wordsworth (1804)

 

 
草原の輝き、花の栄光
再びそれは還(かえ)らずともなげくなかれ
奥に秘められたる力を見いだすべし”(高瀬鎮夫・訳)
 

キリエにとってかけがえのない思い出、それはただ浸るだけの物であってはいけない。そこから何かを掬い取り、それを糧として現在を生きなければ。

と、ここまでくると、グランドエンディングで再会したドロシーがキリエに前を向きなさいと叱咤したシーンに繋がっていくようにも思える。

 

歌詞を最後まで読むと、後ろ向きな日本語部分に対して外国語で引用されている詩が前向きで、その言葉をキリエが自分自身に言い聞かせているようにも思えます。

その言葉によって自分の中で気持ちに区切りをつける。

ドロシーや過去の喪失、消えない記憶を嘆くのではなく、フーカやいま自分が手にしている現実を喜びとしようか。

そんな風にじんわりと思考を転換させていくキリエさんの一夜考の歌なのではと思いました。

 

ゲーム本編に寄せてみる

序盤

直接それを示しているとは思わないのですが、序盤のフーカへの視線にゲーム本編三角関係状態のキリエが思い浮かびました。

引き止めたいけれど自分を受け入れてもらえないのなら最早なりゆきはフーカ次第だ、とドライに割りきった態度。キリエとフーカの間に誰もいない距離、しかしフーカがその範疇から外れかねない危うさによって、キリエの本音と虚像の境界が晒される。

どこまで自分を見ていてくれるだろうか、信じてくれるだろうかという試すような心と願いがせめぎあっていて、ふとしたきっかけでどちらにも転がっていきそうなちょうど瀬戸際にいるようにも聞こえます。

中盤 

キャッチコピーやゲームの説明にも出てくる『この世界の彩りを 教えてくれた貴女』。中盤でその思い出を振り返って現実に目覚めようかというあたりで浮かぶのはゲーム本編の最序盤。追いかけられるフーカからドロシーの思い出話に変わったあとのようなところ。

 

 ”旅の先、ずっと先にあった未来、旅の後、きっと思い描いた未来

  灰色で、虹色。無色で、極彩色”

 

ここのキリエ視点のようにも思います。ドロシーが語る景色と同じものを見てきたキリエ、同じ景色を見てきた二人の言葉。(本編のこの部分はいろいろとひっかかるので別記事で書きたい)

『虹色万華鏡』、同じものを見ていた時には、今のように豊かな言葉では言い表せられなかったかもしれない。なのにそれをいま語ったところでドロシーには届かない。それでも、思い出をなぞる度に言葉がそれをいきいきとよみがえらせる。ここにも、喜びと悲しみが混ざっていて切ない。

わからないところ

わからないところはその前の『空想と現実 偶然と必然の先』。現実を信じていない、現実を現実として生きてないようなキリエ。そんな彼にとっての必然とは何なのでしょうか。『ふたつ時が満ちても やがて欠けゆく』これが全くわからない。満ちて欠けるのは月……?
『空想と現実、偶然と必然』は重なったとしてもまたいずれ違っていく。(夢にまで見たドロシーに似た)フーカと出会ったけれど、結局彼女はドロシーではない、といったあたりかな?

 

ここまでの感想

歌詞全体の流れとして、フーカと出会ったことで過去と向き合い、思い出を過去として認め新しい朝を待つキリエが浮かびます。

本編と絡めてとらえると、

PC版キリエ

Words are Worth

vivace アフターエピソード「君と描いた夢の先へ」

の順で、よりはっきりとキリエの中の決着が描かれていくのがわかる。

PC版の時点でドロシーに「後ろ向きすぎる」と言われてはいますが、vivaceアフターではキリエ自身が前向きな言葉をしっかりとたくさん話してくれます。その変化の過程に、キャラソンキリエのひとり内省する姿がはまるのでは。

 

前編はここまで。

 

中編はスウェーデン語部分の翻訳、後編はもう少し深読みしています。長い。

*1:最初に聞いた時は”風”だと思っていて、カカシから人間への爽やか切ない思い出の滲みを感じていましたがそんなものは無かった

*2:フォロワーさんがおっしゃっていてなるほどなと!

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