「居場所」を見つける物語なのかもしれない
アニメを3、4、5話と見ているんだけど、学園パロの下に何を隠しているのかわかるようでわからない状況にもやもやして感想もまとまらず爆発しそうです。頭抱えている間にどうやらこのブログに引っ越して1年経ったらしいので、原点に戻ってツイッターでは文字数が足りなかったことを書きます。
>> 以下、OZMAFIA!! PC版、vita版、キャラソンとアニメのネタバレを含みます。
我が家より素敵な「居場所」、キリエとフーカ
グッズのオズ3周年記念ノート*1の裏にスウェーデン語(またか)の文章があったのをだいたい和訳した。
スウェーデン語→英語→日本語
むかしむかし、とある少女とその愛犬は竜巻によって魔法の国へとさらわれました。
彼女は魔法の銀の靴を履いて、エメラルドの街の強力な魔法使いに立ち向かい、
家に帰すようにと頼みます。
その道中彼女は、同じように魔法使いに頼みたいことがあるという
おかしな友人たちと出会います。
その道はたくさんの試練であふれていたでしょう、
しかし、旅の一行はエメラルドの街へたどり着き、
彼らの願いはかの強力な魔法使いによって叶えられました。
この話の結末をあなたは知っていると思うでしょう、しかし、
もしその少女が「我が家より素敵な場所はない」ということを知らなかったとしたら、
どうなっていたでしょう…?
だいたい原作「オズの魔法使い」のあらすじだった。特に目新しい内容ではない中で、「もしその少女が「我が家より素敵な場所はない」ということを知らなかったとしたら」という最後の文言が気になる。英語版の宣伝から目にするようになった。英語圏にはオズの魔法使いからのひねりをポイントにすると説明しやすいのかもしれない。でもオズマフィアがそんなスタートだったなんて知りませんでした3年目の新事実。
「オズの魔法使い」のドロシーが「我が家より素敵な場所はない」という結論に至らなかったら、
から始まった物語。というところから考えると、オズマフィア自体がまた別の物語に見えてくる。
すぐに思い浮かぶのはキリエさん。エピローグの「いってらっしゃい、フーカさん」からつながるグランドエンディングの「おかえりなさい、フーカさん」。ドロシーの「我が家」をドロシー自身から伝え聞いていたカカシ、その記憶を持ったままのキリエさん、「我が家」を知らないフーカさんにとって「我が家より素敵な場所」となったオズファミリー。共通エンドフーカさんの居場所たるオズを象徴する慈愛のようなセリフ。
一方でキリエさんのルートに入ればフーカさんがいるオズファミリーという居場所に戻ってくるキリエさんもいる。キャラソンの終わりに雨が降る外からどこかの扉を開けるキリエさんと、雨に濡れて帰ってきたキリエさんを出迎えるアフターエピソードのフーカさん。「Words are worth」というタイトルとBGM、フーカさんの「お帰りなさい」が雨の冷たさを打ち消す。
「オズの魔法使い」とは違った道を選んだドロシーにとっては塔の上が「我が家より素敵な場所」。ドロシーの思いが巡り巡って、「カンザスの家より素敵な我が家」という居場所をフーカさんがキリエさんの元で見つけた。そう思うと、二人の「いってらっしゃい」「ただいま」が今まで以上にはっきりとフーカさんの居場所を示してあたたかく聞こえると同時に、やはりドロシーやキリエさんの喪失感もより深く悲しく響いてくる。そしてその落差はいつまでもつきまとうものだからこそ、幸せを噛み締めたくなった。
「塔」という居場所、ソウとフーカ
ウォールフガング贔屓の目で見ると、オズファミリーや他のエンドでフーカさんと「一緒に帰れる」ことってとても羨ましい。シーザーさんもソウも存在の根源がドロシー自身だから、フーカさんの居場所になるには矛盾がより色濃く見えてしまう。
それでもシーザーさんはそこからフーカさんを迎えに行くだけの力があった。フーカさんを守りフーカさんのために発揮される力。反対にソウは運命から連れ出せなかったというコントラスト。それだけ強く自分たちと結び付けられた運命からフーカさんを連れ出そうとまで決意した個別ルートのソウの意思には涙が止まらない。
泣いたといえば最近探検バクモンの東京タワー回*2見て泣いたのは、オズの街の「塔」を思い出してしまうからだった。
東京タワーもエッフェル塔も、街を象徴するイメージの背後には歴史がある。
「塔」というものには、建つに至った時代の流れやその地盤となる風土に立した意義があるんだよな。
空間を大きく占拠しているからという理由だけではなくて、そこに建てられた経緯があるからこそ人々は立ち止まって塔を見上げる。その視線に思いが宿るからこそ、塔が居る景色にも思いが塗り重ねられていく。
オズマフィアの塔は、オズの街とともにそこに「現れた」。住民たちはそれと同時に生まれたのだから、塔は彼らによって建てられたものではない。
まずそこに、「ドロシーの居場所」という意味があった。塔のはじまり、あの街で形を持った瞬間に込められた意味、それは他ならぬドロシーによって住民たちに与えられた。塔と、街と、住民たちと、いずれもドロシーの魔法によって生まれたもの。母であり神であるドロシーが住むはるか雲の上、住民たちは塔を見上げてどれだけの思いを注いだのだろう。
その関係は、ある日ドロシーが消えソウが生まれたことで一変する。「旅を終えたドロシーが、人間になったカラミアたちのそばにいるための場所」という、塔がそこにある意味、そこに建てられるまでの物語は、「てっぺんに王様が住んでいる」なんて伝説に書き換えられた。
ドロシーを取り戻すために人々の記憶からドロシーの存在を消し、同時に塔の意味を変えたソウ。それでも、人々が塔に向ける視線、そこに注がれる「思い」という形を奪うことまではしなかった。この点に、塔としてのソウ、ドロシーのために生まれてきたソウの思いがある。
「塔のことは誰も気にしてない」なんて言って、それでも自分は塔のそばで店を開いている。フーカさんの前でなんとなく塔の話題を出してみる。「忘れられた塔はどうなってしまうんだろう」、どうでもよくなってしまえば、取り壊されるかもしれない。
もしかしたら、ソウ自身が塔と住民のつながりを絶つことにためらいがあったのかもしれない。「思い」の流れを断ち切ることで塔の存在まで無関心に忘れられてしまうことを恐れたのかもしれない。ソウにとっては自分自身の存在を忘れられてしまうことだから。自分があの世界に生まれ存在する意味と、何より、ドロシーの帰る場所が失われてしまうということだから。
ソウのしたことはあまりに独善的だけど、ただドロシーの居場所、ドロシーと自分の居場所を守りたかったという強い気持ちがあったはず。(ソウの功罪を天秤にかけるのは本当に胃が痛みだすからやめる)
個別のルートに入った時点でソウの目標はドロシーからフーカさんに変わってしまうけれど、するとソウにとっての居場所はまた違った意味を持って、フーカさんへの思いと一緒によりいっそう愛しいものになる。
ソウのセリフで「居場所」を意識させるのは、「想い出の中に住まわせてくれて、ありがとう」。フーカさんと離れてしまうPhantomエンドでの言葉。井口さんの優しさに切なさの差す話し方といい、「想い出に住まう」という言葉の選びといい、得体の知れない幻のようなものとなってしまったソウのそれまでが凝縮されている至極のひと言。
離別のあと、塔に寄り添うフーカさんの夢に現れたソウが語る言葉はなだめるような優しさ。生まれた時すでにフーカさんからこぼれ落ちていた場所。ドロシーと過ごした思い出がたくさんつまった場所。そこに「住まう」存在になっ(てしまっ)た結末と、それを、ソウとの思い出の場所としてフーカさんが大切にしていること。
共有できないものはたくさんあるけど、二人をつなぐ居場所はずっと守られていく。静かな希望が灯される、塔の下の二人のやりとり。それだけでも、ソウとフーカさんにとって救いになってくれたら良い。
余談・アニメオズマフィアと「居場所」の予感*3
――キリエは、とにかく長ゼリフが多いですからね。そして本当に長い。
興津:今回は3分アニメですけど、3分ずっとしゃべってたらどうしよう!?って。キリエならあり得るんですよね。
梯:こっちは相槌うってるだけみたいな。
興津:今後も、そんなことがないようにちょっとだけ祈ってます。あったらあったで面白いですけど。
梯:その割を食うのが絶対にアクセルなので……僕はないように祈ってます。アクセルの居場所は残してやってください!
意味も文脈も違うんだけど、梯さんの「居場所」って言葉がちょっと嬉しかった。
居場所居場所、と考えているとアニメの方もそういう話に見えてくる。でも答えはまだまだわからないことばかり。スカーレットはどこから転入してきたのか*4、スカーレットはじめウォールフガングやハイジ、長靴まで「オズファミリー」傘下に吸収された形なのか。Cパートでカラミア先生たちが語りかけるのは「フーカさん」なのか、「フーカさん」はどこにいるのか。
「この学園は俺の庭だ」と言うシーザーさん、「学園長」としてすべてを俯瞰しているようなソウ。ウォールフガングの印はどこにもない。ファミリーマークがあるのはオズとグリムだけなのかな?
あと学園長は塔と関係があるのか、何よりアニメ世界と原作の関わりはどうなっているのか、というあたりの疑問で頭抱えてしまって大変。
気になるところが多すぎる。はやく6話が見たいです。
おわりヾ(⌒(_•ω•)_