屋台裏ノート

OZMAFIA!! 感想・考察なぐり書き

オズステ2回見てやっと走り書きくらいの言葉が出てきた


しばらくぶり過ぎて見出しの付け方も忘れてしまっていたのでキリエさんにしばかれたい。


オズステ、圧倒的原作再現から補完まで、素晴らしかったです。
成仏できる。
成仏しかけて言葉も奪われかけたので、なんとか書き残したい感想メモ。

正直、シークレットミーティングで舞台化が発表された時は反応に困りましたが、
実際に会場に入って、ステージに掲げられた紫色の本が目に飛び込んできた瞬間から、涙腺が緩みっぱなしでした。

BGM、キャラクター、背景、セリフ、展開。
原作を丁寧になぞりながら、ドラマチックに要素がつながっていく。
抵抗もなくのめり込んだのは、キャストがキャラクターとほぼイコールになっているという何よりも欠かせない前提がゆるぎなくそこにあったからでした。

特に、奥谷ハーメルンさんのアッパーな狂気と湯本ロビン先生のダウナーな狂気の絡み合いが素晴らしい。
キリエさんは2次元の存在と思いきや、イベントで興津さんがキリエに見えた3次元だけではなく、山口キリエとして2.5次元にも存在しているという発見。
各ファミリーのソルジャーや、街の住人までひとりひとりが「オズマフィア」の登場人物として生きていて、その景色を眺めていられる幸せ。
回を重ねたことでより生き生きと鮮やかになった景色に、また幸福度は上がっていく。

原作を大事に、というオズマフィアの姿勢は、舞台においても貫かれていました。
しかし、舞台オズマフィアはこれまでと違う。
今回のオズマフィアは、あえて真の姿を全面に出し、原作の真相で胃を痛めてきた人間をちろちろと炙るようなやつでした。
この胃痛こそオズマフィアだ!たまらん!

オズマフィアには、個別ルートをすべてまわったあとに見られる真相があります。
その真相にも、エピローグがあります。

それでも描かれない隙間、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのような、ある筋道に見える余白があって、その筋道をプレーヤー各々が想像するという楽しみがあります。

PC版発売後、様々なメディアで、様々な人の目を介して、オズマフィアの物語は描かれてきました。
いくつかの小さな「余白」は補われ、派生の先で新しい輪郭となっていきました。

舞台オズマフィアは、とても大きな余白を真っ黒に染めていかれる感覚がありました。
舞台の上にあったのは、私が一番見たくない、一番受け入れたくないソウの姿でした。

しかしながら、これまで散々、ソウの罪や理由、存在の根源や性質についてぐだぐだと考えてきた私には、ひとつの答えが示されたことが救いにも感じました。

「いつまで待てばいいの。もう十分、罪を償ったじゃない」
ストーリーの後半、グレーテルの悲痛な叫びに、ステージも客席も皆息を呑みます。
その瞬間、「罪人」と「赦されるべき人」がくるりと逆転する感覚になりました。

ステージを2回見たところで、やっと最後のソウのセリフに気がついて、帰り道まで泣きじゃくりました。
(1回目はその直前のキリエさんに全部持っていかれて聴き逃していました。)

ソウが、ドロシーのためにやったこと。
それでもソウが、最後にみんなに混ざり笑っていられた理由。

舞台ソウの出現と、彼の言葉によって、だんだん心の整理が着いてきました。

物語の余白はただ染められたのであって、ページを潰されてはいない。
これだけの展開を経てなお、本質を保ったまま姿を変えていくオズマフィアという物語の強さに惚れ直すばかりです。

明日の千秋楽、楽しみです。


おわり

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